DCPRG活動終了

gosekky2007-04-25

4/25のO-EASTのライブを最後にDCPRGの活動が終了しました。
最初のライブが99年の夏だから8年間ですね(これ見に行けなくて悔しかったなー)その頃は僕はメンバーでもなくて菊地さんとも知り合いでもなくて、普通にチケット買ってワクワクしながらピットインやらスターパインズやらにライブ見に行ってたんですよねー。懐かしいなー。




この日もいつものようにテナーとソプラノを抱えて電車に乗り込んでO-EASTに向かったのですが、ココのところ体調が最悪で
ツアー中も咳で吹けなく成ったりと苦労したので、医者に貰った強力な咳止めやら風邪薬を飲んで電車に乗ったら
あっという間に酔ってしまって、冷や汗だらだらかきながら渋谷について、休み休み歩きながら会場へ。
その後もサウンドチェックのバンドの音量で目眩がしたり、かなりヤバい状況でした・・・。最後のライブなのにこんな事に成るとは・・・。
とか思いながらも、薬の効き目が切れれば落ち着くだろうと気楽にしてました。
サウンドチェック後は高井さんと2人でお店をウロウロして帽子を見たり色々してました、そのあとは2人で肉を食べて今日で最後かー、
みたいな話をしつつ会場に戻り楽屋で時間をつぶす。よく考えたら高井さんと2人で服屋行くなんて今まで一度くらいしかなかったかも??




今回のツアーを通してライブはどれも、もの凄く良くて、それでも解散しちゃうの?!って何度も思うほどでした。
O-EASTの楽屋でもみんなで解散の発表を阻止するにはどうしよう?!?!みたいな話が冗談で出たりして
アンコールが来ても照明明るくしてBGM流してライブを終わりにしてしまおう!!!アンコールさせないで菊地さんに活動終了の事を喋らせないようにしよう!!!
とか言ってましたが、結局アンコールになっちゃって菊地さんから発表。
そのMCで「これがラストツアーだって言うと、久しぶりに聞きに行こうかなって人がくるでしょ?そういう人の前では演奏したくなかった。普通に活動続けててもそのまま今日聞きに来てくれる人の前だけで終わりたかった。 」といつもの冗談っぽい口調で言っていて、でも菊地さんのバンド、お客さん、音楽、に対する思いがこの一言に込められているんだなー、と複雑な気持ちになりました。
最後にはみんなで楽器を交換してヘイジョーを演奏、ほんとは最初の少しだけ演奏してやっぱ無理でした。みたいな感じで自分の楽器でやり直すって予定だったのに・・・
ドラム(オオギミさんヨシミさん)とベース(タイセイさん)が、しっかりしていてヨレヨレながらも演奏が進んでしまって・・・・、あれよあれよと言う間に
関島さんが豹変してギターソロを・・・・、高井さんもソプラノでヘイジョーのリフをポヘーーと吹いてるし・・・・(本当はキーボード弾くはずで練習していたのに・・・)、僕はチューバが思いのほか重くてユラユラしてくるし手が滑るし大変でしたがなんとか最後まで演奏!!!!
(そう言えば坪口さんはメロディーをギターで普通に弾いていたし、きっと家で練習したに違いない、奥さんにコッソリ聞いてみれば良かった・・・)
この8年間の活動の最後の演奏がコレですから・・・、今までの活動は全部ギャグでした!!!みたいなとんでもないラストでしたが、
菊地さんにしか出来ない終わりかたと言うか、活動終了で悲しいと言う気持ちよりも、バカバカしくて笑っちゃうけど悲しいけどバカバカしい。ふに落ちないけど変な爽快感が有る終わりでした。




僕のミュージシャンとしてのキャリアのスタートは2000年にDCPRGに入った事から始まるのですが、今思えば学校卒業したばかりの、22歳のろくに吹けない無名の若造を良く自分のバンドに入れたなー、と思います。(ちなみに同時期に東京中低域に入ったのも菊地さんのおかげなのです。)っていうかその頃は、菊地さんが出るライブは何でも行ってたし、ちょっとでも参加しているCDはみんな買って演奏をコピーしたり、とにかくみんながマイケルブレッカーとかケニーギャレットをコピーしていた頃に僕はひたすら菊地さんだけをきいて、コピーしてそっくりに吹けるように成りたくて、っていう感じでしたから。ただのファンの1人ですね。
坪口さんに菊地さんを紹介してもらい、弟子になり、ローディーになり、週に何度も菊地さんの家に行って、金魚のフンみたいに菊地さんにくっついて回り、しまいにはバンドに入れてもらい、もう最高の気分で自分が一番好きなミュージシャンのバンドに入れてもらえるなんて、ほんとに信じられない事で、何でも出来るような気分っていうか、わかりますよね??この感じ。(一緒に演奏したら余りの凄さに、うかれている余裕なんて全く無くなるんですけど・・・。)

初めてのDCPRGのリハの事も、初めて僕が参加した西麻布のイエローでの事も、良ーく覚えているし、ヨシガキさんに怒られた事も、藤井さんにお菓子ばっかり食べてないで野菜を食べろとサラダ渡された事も有ったなー。とかケンタさんにはホントに沢山のことを教わったし、言い出したらキリが有りません。
この8年くらいは常に菊地さんとDCPRGが僕の中心に居た気がします・・・、気がすると言うか菊地さんが全ての中心にいたんだなーと思います。
活動終了って事に成らなかったらこの先もずっとそのままだっと思うし、菊地さんも言ってたけど、新しい事を始めるには一度終わらせないとって事なんでしょう。
7年間もDCPRGみたいな希有なバンドで演奏出来たことを本当に光栄に思います。いままで聞きにきてくれたり、応援してくれた皆さん本当にありがとうございました。



さーて、コレからは何を始めようかな!!